鉄眼道光(1630―82)

江戸前期の黄檗(おうばく)宗の僧。鉄眼版(あるいは黄檗版大蔵経(だいぞうきよう)

の開版で知られる。肥後(ひご)(熊本県)に生まれる。13歳で出家し、のちに京都に出

て黄檗宗の隠元(いんげん)隆g(りゆうき)や木庵性トウ(もくあんしようとう)に就いて学ぶ。

1668年(寛文8)大蔵経の版木をつくって印刷することを決意し、経典の講義を行うなど

してその資金を集めた。宇治の黄檗山万福寺の寺中に宝蔵院を建て、版木の貯

蔵所とし、京都には印房を開いて、開版事業に奔走。73年(延宝1)、大眉性善(だい

びしようぜん)より、黄檗山内の塔頭(たつちゆう)(子院)東林庵を譲り受け、宝蔵院

をここに移転した。76年には木庵の法を嗣(つ)ぎその弟子となり、78年に開版事業

を完成させた。この間に、江戸・青山に開蔵寺(のち海蔵寺)を建立し、和泉(いず

み)(大阪府)に瑞竜(ずいりゆう)寺を再興するなどの活動をみせ、難民救済に尽力

し、同年3月22日に53歳で寂した。

黄檗版

江戸時代につくられた木版大蔵経(だいぞうきよう)の一つ。黄檗宗の僧であった

鉄眼道光(てつげんどうこう)が大蔵経を板木に刻むという一大事業を企て、全国

を行脚(あんぎや)して浄財を集め、前後13年を費やして完成したもので、「黄檗

版大蔵経」または「鉄眼版大蔵経」という。木版の大蔵経は中国では宋(そう)代

以後盛んにつくられ、そのいくつかは日本にも伝えられた。徳川家光(いえみつ)

の時代には、わが国最初の木活字による大蔵経が天台宗の僧天海(てんかい)

によってつくられた。この「天海版大蔵経」はきわめて限られた部数しか摺(す)ら

れなかったが、その後つくられた黄檗版は全国の各宗寺院に流布し、仏教研究

に大きく貢献した。黄檗版は中国明(みん)代の万暦版を覆刻したもので、6956

巻からなる。その版木は京都府宇治の黄檗山万福寺(まんぷくじ)に現存し、国

の重要文化財に指定されている。

鉄眼仮名法語

江戸時代の仏書。一巻。大蔵経開版で著名な黄檗(おうばく)僧鉄眼道光の著。

1691年(元禄4)に刊行されたもので、後記では、禅に志の深い一女性のために

書き綴(つづ)られたものとする。内容は『般若(はんにや)心経(しんぎよう)』の精

神をわかりやすく説いたもので、色(しき)・受(じゆ)・想(そう)・行(ぎよう)・識(しき)

の五蘊(うん)がみな空(くう)であることが徹見できれば、いっさいの苦患厄難から

解放され、宇宙の本体である法身(ほつしん)般若の体にかなうことができる旨を

、色・受・想・行・識の順に懇説している。

*(from 小学館スーパーニッポニカ)